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郡上市高鷲町ひるがのは、戦前戦後の郡上の歴史の中でも大きなカギを握る地域です。戦前、郡上八幡城の麓につくられた凌霜塾の実践道場としての大日道場が創られ、戦後は、満洲からの引揚者・復員者・罹災者等により開拓団が組織され、戦後開拓が進んだ地でもあります。 その戦後のひるがの開拓の様子を学ぼうと、当時を知る方にお話しを伺うべく、ひるがのへ行きました。 その際、ひるがの高原スキー場にのぼりました。ここからはひるがのの集落が一望できます。森が多く見えますが、この樹々が家々の屋根を隠すようになったのは、この20年ほどのことだそうです。 湿地帯に排水路を作り、水を排出し、熊が出たという森の樹々を抜根し、進んだ戦後開拓。 「いざ友よ ともに築かん 日留ケ野に 乳と蜜との流るる里を」-満洲から引き揚げ、戦後ひるがの開拓の責任者ともなった辻村徳松氏の遺詠。「蛭ヶ野」との表記を「日留ヶ野」としたところにも、当時のひるがのの様子と、人々の願いが表れているのではないでしょうか。 生きるための開拓が進められたひるがのでは、やがて防風林以外の樹々は姿を消しました。当時は、いまのスキー場からの景色とは違った、真っ平らな農地が広がっていたそうです。 やがて戦後日本が高度経済成長期に突入する頃、ひるがのでは観光産業が芽吹き始めます。その端緒となったのが、ひるがの高原スキー場です。 大勢のお客様が訪れ、スキー場の近くのとある土産物店では、ひっきりなしに土産物が売れたので、お金を金庫にしまう余裕がなく、長靴の中に押し込んで保管したとか、おもしろい逸話が残っています。 そのひるがの高原スキー場、現在は、グリーンシーズンはアウトドアスポーツができたり、コキア等のお花を楽しめる場所になっています。 丸くころころっとしてかわいらしいコキア。ほうき草と言われている植物ですが、秋になるとこの緑が赤く染まります。 いま、ひるがのではいろいろな新しい動きが出始めています。その一つに、ノルディック・ウィークがあります。 ノルディック・ウォークは、スキーのストックのような杖を両手に持って歩くもので、膝に負担がかかりません。高原の清らかな空気の中で、景色を楽しみながらウォーキングすることは、想像しただけでも気持ちよさそうですね。 ひるがのが刻んだ歩み、そして新しい胎動、これらに思いを馳せながら、一度、ひるがのの集落を眺めてみてください。 ※ひるがの高原を歩く、ノルディックウォークの大会が開催されます。初秋の爽やかな高原を歩きませんか?詳しくはこちらから。 ひるがの観光協会(高鷲観光協会ひるがの支部) http://hirugano.net/hkw/
by furusato-gujo
| 2012-09-12 09:05
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